2000年前の地震と津波
仙台市荒井東土地区画整理事業の中で発見された沓形(くつかた)遺跡
そこでは弥生時代における20haもの水田域が見つかり、そこは2000年まえにおきた津波堆積物に覆われていたこともわかりました
津波があったということは地震もあったのであろうことも考えられるけれど、その時は地震の跡は発見できませんでした
そのあと今回の場所の発掘で、その地震傷跡の地割れも津波傷跡の津波堆積物も確認できたのでした。
ニュースで今日、その公開があるというのででかけてきた

全体、、TVクルーがきてた

説明の始まる前に少しだけ展示してある「沓形遺跡」のものを見てみることに
遺跡の層をきりとってフレームに入れたものと前にあるのは弥生時代の石器や土器
指さしてる白いところが津波の堆積物

説明が小さくて読めないね
上から弥生土器、真ん中左から地割れ跡、溝跡、津波堆積物、1番下は石器

黒い筋が地震の地割れ跡

グレーに見えるところが古墳時代の遺物包含層

10世紀の火山灰
これがすごかった!なんと十和田湖火山の噴火のものだそうな、915年のこと
同じ915年に京都では「月のような太陽が出て、灰が2寸もつもって桑畑なども枯れてしまった」との記述が残されている
十和田湖は陥没カルデラ、不勉強だった!!初めてしりました、十和田湖近辺ではその時の溶岩等の跡が今でも見られる場所がたくさんあるそうな
(家に戻ってから十和田湖火山を調べてみました)

そろそろ説明がはじまります
東北学院大松本教授の30分くらいのお話を聞いてそのあと質問

最後に下まで降りることができて、そこでも熱心な人たちはいろいろと質問

地割れ跡は幅5~20cm、深さは50cm以上
誰かが質問してたのを聞いてたら、深さ50cm以上といいますがこれ以上掘れないのですか?
答えは、、「私も本当は掘りたいのです!、でもこれ以上掘ったら水がでてきてしまうので、、」と
本当は深さはもっとあるのでしょう、、

いただいてきた資料にはまとめとして
≪沓形遺跡で見つかっていた津波傷痕は今回の調査で日本海溝周辺出発生した地震に伴うものとわかりました
仙台市域の沿岸部では東日本大震災と同じような震災が2000年前にも起こっていること
その後も規模の違いこそあれ繰り返されてきたことを、土地に残された地域の記憶として
今後の防災、減災に約立てていきたいと考えてます≫
と、結んでありました。
震災の後1冊の本を読みました

飯沼勇義さんの震災後にかかれた本
そこには1000年前の貞観地震のことが書かれてありました

もう1冊、震災の前に出されてた同じ飯沼さんの「仙台平野の歴史津波」
飯沼さんは貞観地震と同規模の地震津波が必ず来ると震災の十数年前にも一生懸命いろいろな所で説明してきたけれど、、
その声が行政には届きませんでした

「3.11 その日を忘れない」を書いた後にもう1冊本を出されてたのは知ってたけど、まだ読んでなかった
その本を今日15パパがもってきてくれた、、ありがとう~~!
今晩から早速読んでみますね!
1000年前の貞観地震はわかったけれど、もっと前2000年前にもあった同じような巨大地震
本当に後世の人たち、、もしもその頃までまだ人間が存在してるのならば、、こういう記録をなんとか残してあげてほしいものです!!
今日は本当にいい勉強をさせてもらいました、、発掘調査にかかわったすべての皆さんに感謝!!